賢俊けんしゅん)” の例文
九州平定のいくさも終ったある日のこと、その大友具簡が、尊氏の侍僧日野賢俊けんしゅんにむかい、つくづく懺悔ざんげして、こう述懐じゅっかいしたというのである。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏のいいつけは、彼の耳のそばでささやかれたので、どんな内容かは、おなじふなやぐらにいた、師直もろなお賢俊けんしゅん、ほか幕僚の諸将にもわからなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「されば、その薬師丸のみちびきで、資名どのの弟御、三宝院の僧、日野賢俊けんしゅん御坊にお会いできたのでございました」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あくる日、尊氏は、直義や日野賢俊けんしゅんをつれて、内山の有智山うちやま寺にのぞみ、少弐妙恵の霊をねんごろに弔った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さっそく、光厳上皇と豊仁とよひと親王を、みずからお迎えして、男山の一院にあがめ、侍座には、三宝院の賢俊けんしゅんを、お添え申しあげた。元々、賢俊は持明院統の臣下である。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いやこれらの股肱ここうの者のほかに、西下途中のむろへ、持明院統の院宣をもたらして来て尊氏にそれをさずけた光厳院の御使みつかい、三宝院ノ賢俊けんしゅんもそのうちに立ちまじっていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
院の御使みつかいの船は、まもなく、尊氏の乗船の横へ着いた。すぐ右馬介の介添かいぞえで、自船から大船の上へと移った日野賢俊けんしゅんと薬師丸の影は、一とき湾内の者の視線をしゅくとあつめていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御使みつかい賢俊けんしゅん御坊も、おなやみの最中と、事を割ってはなしますと、思案のすえ、ならば供のうちに、備前飽浦あくらの佐々木党の一人、加治源太左衛門安綱がおる、これは海上の案内にくわしい侍
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)