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美福門院
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びふくもんゐん
ふりがな文庫
“
美福門院
(
びふくもんゐん
)” の例文
体仁
早世
(
さうせい
)
ましては、
朕
(
わ
)
が
皇子
(
みこ
)
の
五四
重仁
(
しげひと
)
こそ国しらすべきものをと、
朕
(
われ
)
も人も思ひをりしに、
五五
美福門院
(
びふくもんゐん
)
が
妬
(
ねたみ
)
に
五六
さへられて、四の宮の
五七
雅仁
(
まさひと
)
に
代
(
よ
)
を
簒
(
うば
)
はれしは深き
怨
(
うらみ
)
にあらずや。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
一一九
応保
(
おうほう
)
の夏は
美福門院
(
びふくもんゐん
)
が
命
(
いのち
)
を
窮
(
せま
)
り、
長寛
(
ちやうくわん
)
の春は
一二〇
忠通
(
ただみち
)
を
祟
(
たた
)
りて、
朕
(
われ
)
も其の秋世をさりしかど、
猶
(
なほ
)
一二一
嗔火
(
しんくわ
)
熾
(
さかん
)
にして
尽
(
つ
)
きざるままに、
終
(
つひ
)
に大魔王となりて、三百余類の
巨魁
(
かみ
)
となる。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
“美福門院(藤原得子)”の解説
藤原 得子(ふじわら の とくし/なりこ、永久5年(1117年)- 永暦元年11月23日(1160年12月22日))は、日本の第74代天皇・鳥羽天皇の皇后。近衛天皇の生母。女院。院号は美福門院(びふくもんいん)。
藤原北家末茂流(藤原魚名の後裔)の生まれ。父は権中納言・藤原長実(贈太政大臣)、母は左大臣・源俊房の女、方子。鳥羽天皇譲位後の寵妃であったが、太上天皇の后として、異例の「皇后(皇后宮)」に立てられた。
(出典:Wikipedia)
美
常用漢字
小3
部首:⽺
9画
福
常用漢字
小3
部首:⽰
13画
門
常用漢字
小2
部首:⾨
8画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“美福門”で始まる語句
美福門