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磐余
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いわれ
ふりがな文庫
“
磐余
(
いわれ
)” の例文
ホムダの王の五世の孫のヲホドの命(繼體天皇)、大和の
磐余
(
いわれ
)
の玉穗の宮においでになつて、天下をお治めなさいました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
鴨が
声
(
ね
)
を聞いたのだっけ。そうだ。
訳語田
(
おさだ
)
の家を引き出されて、
磐余
(
いわれ
)
の池に行った。堤の上には、
遠捲
(
とおま
)
きに人が一ぱい。あしこの
萱原
(
かやはら
)
、そこの
矮叢
(
ぼさ
)
から、首がつき出て居た。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
「百伝ふ」は枕詞で、
百
(
もも
)
へ至るという意で
五十
(
い
)
に懸け
磐余
(
いわれ
)
に懸けた。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、
愈々
(
いよいよ
)
、
磐余
(
いわれ
)
の池の草の上で、お命召されると言うことを聞いて、一目 見てなごり惜しみがしたくて、こらえられなくなりました。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
御子のシラガノオホヤマトネコの命(清寧天皇)、大和の
磐余
(
いわれ
)
の
甕栗
(
みかくり
)
の宮においでになつて天下をお治めなさいました。この天皇は皇后がおありでなく、御子もございませんでした。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
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御陵は初めは
磐余
(
いわれ
)
の
掖上
(
わきがみ
)
にありましたが後に
科長
(
しなが
)
の中の陵にお
遷
(
うつ
)
し申し上げました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
“磐余”の解説
磐余(いわれ)とは、奈良盆地桜井市中部(阿部・池之内)から橿原市南東部(池尻)にかけての古地名。天香具山北東山麓を指す。石村・石寸とも表記する。
(出典:Wikipedia)
磐
漢検準1級
部首:⽯
15画
余
常用漢字
小5
部首:⼈
7画
“磐余”で始まる語句
磐余伊美吉諸君