石田三成いしだみつなり)” の例文
また我が国にても石田三成いしだみつなり徳川とくがわ家の御用史家により、成るべくしざまに書かれたため、その人格および事業はすべて曲げて世に伝えられた。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
切支丹の運命にとって致命的であったせきはらの決戦が済み、切支丹の最も有力な擁護者であった石田三成いしだみつなり小西行長こにしゆきなが黒田行孝くろだゆきたからが滅びうせて後は、元和げんな八年の五十五人虐殺を筆頭に
栗原山には長束正家なつかまさいえ、山下には長曾我部盛親ちょうそかべもりちかと、いずれも西軍方が布陣して、家康の東軍をうかがったものであったが、一たび石田三成いしだみつなりの主隊の潰乱かいらんから、いちどにときを揚げて敗走している。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)