湯島天神ゆしまてんじん)” の例文
寛宝かんぽう三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神ゆしまてんじんやしろにて聖徳太子しょうとくたいし御祭礼ごさいれいを致しまして、その時大層参詣さんけいの人が出て群集雑沓ぐんじゅざっとうきわめました。
その頃三幸の支配人で、現今湯島天神ゆしまてんじん町一丁目におられる草刈豊太郎くさかりとよたろう氏には色々御世話になりました。
今これを広重の作品に徴するにそが雪景の作中にて最も傑出せる好画図をなさしめたる処は御茶おちゃみず湯島天神ゆしまてんじん石段、洲崎汐入堤すさきしおいりづつみ芝藪小路しばやぶこうじ等にして向島むこうじま、日本橋
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこは、御成街道おなりかいどう広小路ひろこうじにかわろうとするかどであった。一方に、湯島天神ゆしまてんじんの裏門へ登る坂みちが延びていた。そこのところに、つじ待ちの駕籠屋かごやが、戸板をめぐらして、股火またびをしていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
先生が湯島天神ゆしまてんじんから白壁町へ引っ越して以来の馴染なので、伝兵衛は遠慮のない口をきく。先生の方では下らん奴だと思っていられるかして、どんなことを言っても怒ったような顔もしない。
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
湯島天神ゆしまてんじん石段下で停った様でありました。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)