渋江抽斎しぶえちゅうさい)” の例文
そう思うと、心の底からおかしさが込み上げてきたよ。渋江抽斎しぶえちゅうさい鰻酒うなぎざけというものを発明したそうだが、おれの南蛮渋茶の方がうわ手だな。
三十七年如一瞬さんじゅうしちねんいっしゅんのごとし学医伝業薄才伸いをまなびぎょうをつたえてはくさいのぶ栄枯窮達任天命えいこきゅうたつはてんめいにまかす安楽換銭不患貧あんらくぜににかえひんをうれえず。これは渋江抽斎しぶえちゅうさいの述志の詩である。おもうに天保てんぽう十二年の暮に作ったものであろう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
が、その口のはたから渋江抽斎しぶえちゅうさいの写した古い武鑑(?)が手に入ったといって歓喜と得意の色を漲らした。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
森先生の渋江抽斎しぶえちゅうさいの伝を読んで、抽斎の一子優善やすよしなるものがその友と相謀あいはかって父の蔵書を持ち出し、酒色の資となす記事に及んだ時、わたしは自らわが過去を顧みて慚悔ざんかいの念にえなかった。
梅雨晴 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
渋江抽斎しぶえちゅうさいがこの木を愛していた。転居するおりには、いつでも掘り起して持って行き、そこに移しうえた。木はそれでも枯れずにいた事は、鴎外の抽斎伝に中に書いてある。
かの学者の渋江抽斎しぶえちゅうさい、書家の市河米庵、ないし狂歌師仲間の六朶園ろくだえん荒井雅重、家元仲間の三世清元延寿太夫等と同じく、虎列拉コレラに冒されたのかも知れない。諸持は即ち初代宇治紫文である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)