浮田うきた)” の例文
そのほか、味方と数える者が、どれ程、腰がすわっているか、疑問ではないか、たとえば金吾中納言きんごちゅうなごん——浮田うきた——そのほか。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
我が早稲田大学教授たる浮田うきた〔和民〕博士、安部磯雄あべいそお氏なども直接新島君の感化を受けた人々であるそうだが、いずれも人格の立派な学者である。
私の家は代々備前びぜん上道じやうたう浮田うきた村の里正を勤めてゐた。浮田村は古くぬま村と云つた所で、宇喜多直家うきたなほいへ城址じやうしがある。其城壕しろぼりのまだ残つてゐる土地に、津下氏は住んでゐた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
金吾中納言秀秋きんごちゅうなごんひであきが敵に内応して、東軍とともに、味方の石田三成をはじめ、浮田うきた、島津、小西などの陣へ、さかさにほこを向けて来た一転機からの総くずれであった。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
浮田うきた中納言の一部隊につき、軽輩な一兵士として出陣したに過ぎないことは想像にかたくない。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勝軍かちいくさの手をゆるめずに、関ヶ原崩れの石田、浮田うきた、小西などの残党を狩りたてているに違いはないので、この月夜に里へ這いだしてゆくには、危険だという考えもないではなかったが、又八が
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おううい。……牟礼むれどの、浮田うきたどの、ご両所か、そこにおるのは」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)