毛利元就もうりもとなり)” の例文
このお話はどうも、わたくしが子供の時に聞いた毛利元就もうりもとなり公のお話と、あんまりよく似過ぎておりますから、ことによると元就公のお話を
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
毛利元就もうりもとなりも然り、上杉謙信うえすぎけんしんも然り、本願寺も然り、みな皇室に献金もし、御造営にも手つだい、綸旨りんじにも恭順きょうじゅんしている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お民は、俊三の入学式をすまして帰って来ると、すぐ恭一と次郎を呼んで、昔、毛利元就もうりもとなりが子供たちに矢を折らしたという逸話を、如何にも勿体もったいらしく話して聞かした。そして
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
毛利元就もうりもとなりの弓矢を折る話や、内務省かのポスターで見たことのある「綱引き」の例をもってきた。「俺達四、五人いれば、船頭の一人位海の中へタタキ落すなんか朝飯前だ。元気を出すんだ」
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
毛利元就もうりもとなりは三本の矢を一度に折ることのむつかしいことから、協力の大事なことを説いたが、いま少年たちは、五人で力を合わしさえすれば、大人がやっとかつげるような重い梯子もらくらくと運べ
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
西国の巨藩、毛利元就もうりもとなりの死んだおととしの同じ年に、東海の雄、北条氏康うじやすが世を去っている。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その勢力は微少びしょうだともいえるが、尼子一族と毛利家との闘争は、実に大永年間、毛利元就もうりもとなりが尼子経久領を奪取だっしゅして以来のもので、以後五十余年の長きあいだを、子々孫々にかけて
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)