昆陽野こやの)” の例文
小山小四郎朝政ともまさなどを先がけとして、その軍勢五万余騎、四日の朝八時ごろ都を立ち、その日の夕方に摂津の昆陽野こやのに陣をとった。
新田義貞の本軍と、それの左翼をなす北畠顕家の万余の兵も、すべて、昆陽野こやのから芦屋へと、前進をみせている。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この報告を受けた政府では、それなら播磨はりま印南野いなみのか、この摂津の昆陽野こやのかなどと公卿会議の席上でも討論されたが、実行に移されるとも見えなかった。
かねて情報集めに放っておいた、八木弥太郎法達ほうたつの部下が、摂津の昆陽野こやの伊丹いたみ)から馬をとばして来て
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五日の夕暮に源氏は昆陽野こやのを立ち、ようやく生田の森へ近づいた。すずめの松原、御影みかげの松、昆陽野の方を見渡すと、それぞれ陣を張る源氏勢は遠火をたいている。
尊氏は、正成宛てのねんごろな書簡を書いて、それを兵の肌に持たせ、わざと捕まるように、昆陽野こやの方面の敵中へ放したのだ。伊丹には義貞の弟義助が陣している。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
油小路の邸は、正成が和泉河内の守護をかねて、摂津昆陽野こやのの代官を管理する身となってから賜わったいわゆる「在京公務所」だった。だからどこにも私邸らしさはない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、箕面みのお昆陽野こやののあたりからは夜どおしの雨風に打たれ、河内殿以下、人も馬も、泥人形のようなおすがた。これでもよほどお急ぎあったものとうけたまわりました」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)