散所さんじょ)” の例文
あるいは同じ仲間に散所さんじょの者と呼ばれたものもありました。けだし浮浪民の生きんがために流れつくのは、必ずしも京都の如き大都会とのみにはかぎりません。
俊基は気の毒に思い、頼春のために再度、おなじ河内石川の住人散所さんじょ太夫たゆう義辰よしたつという人物を紹介ひきあわせてやった。で、以後はそこに身を寄せている船木頼春だったのである。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南北朝から室町時代の文書にしばしば見えている東寺の散所さんじょ法師の如きも、またこの類であったらしい。散所法師の掃除人等がサンジョの名を得た事は、別項「産所考」に説いておいた。
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
勝ちにはやれば、大敗を取る公算も多い。……すでに、ここのぜいも二千とかぞえて、旗奉行の了現りょうげんは誇っておるが、あらましは散所さんじょの浪人や、烏合うごうはい。元々、たのめる武士はいくらもおらぬ。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
息災そくさいかな、散所さんじょ太夫たゆうも」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お。散所さんじょ太夫たゆうか」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)