志摩守しまのかみ)” の例文
側用人丹下村右衞門は先代志摩守しまのかみ歿後ぼつごドサクサまぎれに三萬六千兩の黄金と、おびたゞしい財寶骨董をこの土藏に取込み、山崎家取潰しの時これを目録もくろくから除外させて、ほとぼりのさめた後
右は松前志摩守しまのかみ、左は小笠原おがさわら家の下屋敷、どちらを見ても、人影一つ灯影ほかげ一つ見えない寂しい屋敷ばかりで、突き当たりはまた魔の住み家のような、広大もない本所お倉の高い建物なのです。
去年お取潰しになった、讃州丸亀さんしゅうまるがめの山崎志摩守しまのかみ様のお下屋敷跡ですよ。
「去年お取潰しになつた、讃州さんしう丸龜まるがめの山崎志摩守しまのかみ樣の御下屋敷跡ですよ。土藏一つだけ殘つて居ますが、あれはひどい雨漏あまもりで、山崎樣御盛の頃拂下げになり、取こはすつもりで、そのまゝになつて居ります」