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御腹
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おんはら
ところで、一方の京都に於ては、慶喜公は既に
大政を返上された。けれども以後の政治には、
御自分等も
與かつて、天下の公議で事を裁決しやうといふ
御腹であつたのに、其年の十二月九日の
夜。
も
附屬致され後年御世に出し
參らすべしとの
遺言なれば天忠
御養育なし參らせし處其後天忠
美濃國谷汲郷長洞村常樂院へ
轉住せしに付御同道申
上同院にて御成長に御座候と書認めたり伊豆殿
見終り玉ひ御書面にて先
御誕生後御成長迄は分りたれども
未だ
如何なる
御腹に御出生ありしや
不分明なり此儀は如何にと
問れたり