弘仁こうにん)” の例文
弘仁こうにん九年の戒告のごときはきわめて猛烈なものである(日本逸史)。これは密教の山ごもりの意義とも関係があるであろう。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
弘仁こうにんのむかし、それは仏教にまだ、さんらんたる生命のあった世のころではあったが、嵯峨さが天皇の皇后、たちばな嘉智子かちこ
宝亀ほうき十一年大雷雨によって伽藍の大方は炎上し、いまに残る御堂としてはわずか金堂のみ、胎内の香薬師も現在は別の堂に安置されてあり、金堂の本尊も弘仁こうにん初期の造顕
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
しかしその道の人は誰も知っているように大谷には今日大谷石で出来た弘仁こうにん時代の仏像がある。今は国宝である。して見ると大谷石の存在は随分古くから知られていたのである。
野州の石屋根 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
弘仁こうにんのころとか、長柄川に橋をかけようという大工事です。何千という人夫、大工を使い、幾万の費用をつぎこんでも、濁流とうとうと渦まいて、水の力はおさえるべくもありません。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
宇都宮近くに大谷おおやという土地があります。いわゆる「大谷石おおやいし」の産地で、遠く弘仁こうにん時代にその石で刻んだ仏像が今も残っております。同じ石でその地方では見事な屋根をふきます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)