舞台ではそれゆゑ、刻々の幻象を、精密に、完全に生かし出さなければ、自然空隙が目立つか、平板に陥り易いといふことになる。
それと同時に、所謂「静劇」なるものの出現は、戯曲の文学的領土を拡大し、演劇的幻象の神秘な一面を附加するに役立つたのである。
要するに、俳優の表現能力が、ある程度まで豊富に発揮されてゐる芝居なら、ただそれだけで、劇作家の新しい幻象の糧となり得るのである。
戯曲を文学として読む場合に、作者の幻象が、そのまま読者の幻象となり得ることを、戯曲作家と雖も、小説作家と等しく期待してゐるのである。
舞台的幻象の描き方を体得させるもので、戯曲の主題、結構、文体を通じて、この感覚の有無強弱が、決定的にその価値を支配するものだからである。