巴丘はきゅう)” の例文
これを名目として、呉は、数万の兵を以て、蜀国境の巴丘はきゅうへ出て来た。この物騒きわまる救援軍に対して、蜀も直ちに、兵を派して
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
巴丘はきゅうという所まで来ると、彼方に荊州の一軍が江頭の道を切りふさいだという。物見を放ってうかがわせると、関羽の養子関平かんぺい劉封りゅうほうの二将が
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
喪旗もきを垂れ、ひつぎをのせた船は、哀々あいあいたる弔笛ちょうてきを流しながら、夜航して巴丘はきゅうを出て、呉へ下って行った。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……ああ周瑜。周瑜がここにいないのは残念だが、彼が巴丘はきゅうから帰ってきたらよう伝えてくれい
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「呉城の当主、孫権のお旨をうけて、突然お邪魔に参ったもの。すなわち巴丘はきゅうの周瑜ですが」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
巴丘はきゅう周瑜しゅうゆは、その領地から夜を日についで、呉郡へ馳けつけてきた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)