安芸守あきのかみ)” の例文
この年、平太清盛は、ふたたび昇って、安芸守あきのかみに任官した。父忠盛は、前からの播磨守はりまのかみだが、いまは、父子そろっての、かみである。
……紀州様とほぼ同時刻に外糀町口をとおった女乗物は、赤坂表町の松平安芸守あきのかみさま、それに、外桜田の鍋島さまと毛利さま、このお三家でございます。
おばあさんの父親安芸守あきのかみは、白河で切腹したとき、上野の法親王にはおとがめのないようにと建白書のようなものを書いたのだときいていたが、おばあさんに正すと
それも、安芸守あきのかみ播磨守はりまのかみだった時代の一朝臣あそんの頃には、物にかまわぬおもしろい殿よ——と似合いもしたがである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もっと老爺おじいさんの妻の父親が、上野輪王寺りんのうじみやに何か教えていた××安芸守あきのかみという旗本で、法親王が白河へお落ちになってから建白書のようなものを書いて死んだ人であり
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
同日、松平安芸守あきのかみ、浅野美濃守へも、挨拶に立ち寄りました。いずれも、少時間でござった
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)