天降アモ)” の例文
所謂天降アモり着く神々に、自由自在に土地を占められては、如何に用心に用心を重ねても、何時神のめた山を犯して祟りを受けるか知れない。
髯籠の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
かうして、にゝぎの—みことの天降アモりを唯一度あつた史実とした為に、高天原は、代々の実際生活とは交渉のない史上の聖地となつて行つた。
だから、正確に信仰上の事実として云へば、春天降アモられた日の御子が、ハツ春のみことをみこともつて、扨、秋に至つて、みこともつた事の結果の覆奏カヘリマヲシをなされる。
天降アモりと一つ語原である。山や丘陵のある場合には、其に降るのが、古式の様だが、平地にも降る事は、間々ある。但、其場合は喬木によつて天降るものと見たらしい。
琉球の宗教 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
持ち帰ると家毎に表へ出してある、四方ころびになつた四脚ヨツアシの台に立てゝ置いたのであるが、其用はやはり神招カミヲぎの依代として、天降アモります神の雲路を照すものなのである。
髯籠の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
大空より天降アモる神が、目的メドと定めた木に憑りゐるのが、たゝるである。即、示現して居られるのである。神のタヽり木・タヽりのニハは、人あい戒めて、近づいて神の咎めを蒙るのを避けた。
幣束から旗さし物へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
神々の天降アモりに先だち、人里との交渉の尠い比較的狭少な地域で、さまで迷惑にならぬ土地を、神の標山と此方で勝手に極めて迎へ奉るのを、最完全な手段と昔の人は考へたらしい。
髯籠の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
「標の山」は神の天降アモる所であつて、其を曳いて祭場に神を迎へるといふ考へなのだ。此作り山は、神物のしるしなるたぶうの物を結ぶと共に、神の形代カタシロを据ゑるといふ考へもあつたのである。
国文学の発生(第二稿) (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
天子登極の式には、必北野、荒見川の斎場から標山といふものを内裏まで牽いて来たので、其語原を探つて見れば、神々の天降アモりについて考へ得る処がある。標山とは、神のめた山といふ意である。
盆踊りと祭屋台と (新字旧仮名) / 折口信夫(著)