塩谷宕陰しおのやとういん)” の例文
この人は至って愚人だったよう『常山紀談じょうざんきだん』など普通書き立て居るが、随分理窟の立っていた人だったのは塩谷宕陰しおのやとういんの『照代記』その改易の条を見てもわか
松浦武四郎の捕縛せらるるや、山形侯水野家の儒者塩谷宕陰しおのやとういんは藤森弘庵の安否を憂慮しひそかにその家を訪い密事の真偽を問うた後、毅堂との交を避けるように勧告した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
このころ仲平の学殖はようやく世間に認められて、親友にも塩谷宕陰しおのやとういんのような立派な人が出来た。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ただ一人ひとり、木曾福島の武居拙蔵たけいせつぞう、その人は漢学者としての古賀侗庵こがどうあんき、塩谷宕陰しおのやとういん松崎慊堂まつざきこうどうにも知られ、安井息軒やすいそっけんとも交わりがあって、しばらく御茶おちゃみず昌平黌しょうへいこうに学んだが
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたくしは塩谷宕陰しおのやとういんの文集に載っている「遊墨水記」を以て更にこれを補うであろう。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)