“塩谷宕陰”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
しおのやとういん83.3%
しほのやたういん16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
この人は至って愚人だったよう『常山紀談じょうざんきだん』など普通書き立て居るが、随分理窟の立っていた人だったのは塩谷宕陰しおのやとういんの『照代記』その改易の条を見てもわか
松浦武四郎の捕縛せらるるや、山形侯水野家の儒者塩谷宕陰しおのやとういんは藤森弘庵の安否を憂慮しひそかにその家を訪い密事の真偽を問うた後、毅堂との交を避けるように勧告した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これを読んでわたくしは石経せきけい山房当時の状を想像することを得た。塩谷宕陰しほのやたういん撰の行状に、「買山幕西羽沢村、刜茅以家焉、所謂石経山房也」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
明治七年に候。書肆は銀座三丁目奎章閣けいしやうかく山城屋政吉に候。政吉は日本橋通二丁目稲田佐兵衛の分家にて、塩谷宕陰しほのやたういんの門人に候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)