“しほのやたういん”の漢字の書き方と例文
語句割合
塩谷宕陰100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
これを読んでわたくしは石経せきけい山房当時の状を想像することを得た。塩谷宕陰しほのやたういん撰の行状に、「買山幕西羽沢村、刜茅以家焉、所謂石経山房也」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
明治七年に候。書肆は銀座三丁目奎章閣けいしやうかく山城屋政吉に候。政吉は日本橋通二丁目稲田佐兵衛の分家にて、塩谷宕陰しほのやたういんの門人に候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかし塩谷宕陰しほのやたういん撰の行状に拠るに、慊堂は明和八年辛卯の生である。その掛川に仕へたのが享和二年三十二歳の時である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)