四条畷しじょうなわて)” の例文
湊川みなとがわ四条畷しじょうなわて桶狭間おけはざま、川中島、高松城の一舟、松の間の廊下、雪の夜の本所松坂町、劇以上の劇でないところはない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雨、いよいよくらく、四条畷しじょうなわてもあきらめるほかなく、途中「桜井ノ駅」の跡をさがす。すでに日もどッぷりで暗い木立と水たまりのほか何ものもない。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勘太は、つい聞き入って、正行まさつら四条畷しじょうなわてに出陣するのを待っていたが、急に思いだして、隣りの銭湯へ駈けこんだ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
味方の敗戦、それから四条畷しじょうなわての全滅、一族数々の人の名が、討死討死と、次々にここへ聞えて来たのである。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四条畷しじょうなわて、終日のたたかいは、壮烈をきわめ、彼の死も花々しいものではあったが、それはたれの目からも「——みずから死を求めて突っ込んで行ったような無謀な戦」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし四条畷しじょうなわてから吉野焼打ちまでの経過は、あらまし先に帰っていた直義からきいていたらしく
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、して十四年めに良人の戦死にあい、六人の遺児をかかえて、また、それから十二年目には、ようやく成人させた正行、正時、ふたりの愛児を、四条畷しじょうなわての戦いに死なせ、その白骨をいだかれた
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)