ローマのプリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』八巻十一章にも、インドの大竜大象と闘うてこれを捲き殺し地にたおるる重量で竜もつぶれ死すと見ゆ
プリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』八巻八一章に兎の毛で布を織り成さんと試みる者あったが皮に生えた時ほど柔らかならずかつ毛が短いので織ると直ぐ切れてしもうたと見ゆ
それから古ローマのネロ帝は荒淫傑出だったが、かつてそろいも揃って半男女ふたなりの馬ばかりり集めてその車を牽かしめ、異観に誇った(プリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』十一巻百九章)
また眼覆めかくしして母と遊牝せしめられた牡馬が眼覆しを脱れて子細を知り、大いにいかりて厩人を咬み裂いたのと崖からちて自滅したのとあるといった(『博物志ヒストリア・ナチュラリス』八巻六四章)
の名将レグルス兵隊をして大弩おおゆみ等諸機を発して包囲する事塁砦るいさいを攻むるごとくせしめ、ついにこれを平らげその皮と齶をローマの一堂に保存した(プリニの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』八巻十四章)
さてローマ帝国のプリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』に、竜の事を数章書きあるが、翼ある由を少しも述べず、故にフ氏が思うたほど、東西の竜が無翼有翼を特徴として区別判然たるものでない。
プリニウスの『博物志ヒストリア・ナチュラリス』巻八章六六にいわく、馬は十一月孕み