“加治(かぢ)” の例文
新発田(しばた)より(蒲原郡)東北加治(かぢ)といふ所と中条といふ所の間路(みち)の傍(かたはら)田の中に庚申塚あり、此塚の上に大さ一尺五寸ばかりの円(まろき)石を鎮(ちん)してこれを礼(まつ)る。
「加治(かぢ)先生がすぐ来て下すつたわ……」
落葉日記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
新発田(しばた)より(蒲原郡)東北加治(かぢ)といふ所と中条といふ所の間路(みち)の傍(かたはら)田の中に庚申塚あり、此塚の上に大さ一尺五寸ばかりの円(まろき)石を鎮(ちん)してこれを礼(まつ)る。
板額女(はんがくぢよ)は加治(かぢ)明神山の城主長(をさの)太郎祐森(すけもり)が室(しつ)、古志郡の産(さん)なり。又三歳の小児も知れる酒顛童子(しゆてんどうじ)は蒲原郡沙子塚(すなごつか)村の産(さん)、今猶屋敷跡(やしきあと)あり。始(はじめ)は雲上山(うんしやうざん)国上寺(こくじやうじ)の行法印(ぎやうほふいん)の弟子(でし)なり。
板額女(はんがくぢよ)は加治(かぢ)明神山の城主長(をさの)太郎祐森(すけもり)が室(しつ)、古志郡の産(さん)なり。又三歳の小児も知れる酒顛童子(しゆてんどうじ)は蒲原郡沙子塚(すなごつか)村の産(さん)、今猶屋敷跡(やしきあと)あり。始(はじめ)は雲上山(うんしやうざん)国上寺(こくじやうじ)の行法印(ぎやうほふいん)の弟子(でし)なり。