余部あまべ)” の例文
京都の余部あまべ部落はもと四条河原細工と呼ばれ、鴨川の四条河原、今の大雲院の地に居たのを、大正十五年の市区改正に際し、今の地に移されて
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
文字には「天部あまべ」または「余部あまべ」とも書きまして、もとは皮田かわたとも穢多えたとも言われておりました。これは昔の「余部あまべ」というものの名称を継いでいるのでありましょう。
余部あまべ」という名は、奈良朝頃の地誌や、平安朝頃の郷村名ごうそんめいを書いたものによく出ておりまして、全国各地にあったのであります。今も諸国にその名が残っております。
それで余部あまべというものにしたと云うのでありますが、私はそれを信じません。