余戸あまべ)” の例文
爾来記録を尋ね文書を探って、多少得るところあるを自覚し、十月京都大学読史会大会で、「余戸あまべ」に関する研究の一端を発表した。
編輯雑感 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
やはり京の余戸あまべと同じく、人の嫌う職業に従事するとか、或いはどこにも材料の得やすい竹細工に従事するとかいう様な事もありまして
しかるにその後神亀四年に新たに戸籍に編入せられ、雑戸を平民とした天平年間にさとと立てたものが、所謂余戸あまべの里だというのであります。
諸国に余戸あまべの名を有した地は多かったが、京都の天部部落以外に、自分はそのエタとなっているものの多きを知らぬ。
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
その時に新たに戸籍に編入せられたもので、それを、神亀の次の天平年間に「さと」ということにした。それを余戸あまべというのだとの事が書いてあります。
これらの島や鴨河原へ、餌取えとり余戸あまべの本職を失ったものが流れ込んで、所謂河原者をなし、その或る者はエタと呼ばれ、或る者は天部あまべと呼ばるるに至ったものではあるまいか。
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
越多えつたの種落之を阿麻別あまべと謂ふ。和名抄を按ずるに、載する所諸国の郷名に余戸あまべと称する者一国或は十余所に及ぶ。(中略)。昔王化の盛なるや、唐土・三韓の民の来帰する者、国史記を絶たず。
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)