会下山えげさん)” の例文
ずっと以前に、新・平家物語で“ひよどり越え”を書くときにも、私はこの会下山えげさんに来て立ち暮らした。それほどここは眺めがいい。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正成は、すべてが一望にできるこの会下山えげさんに陣どった。義貞は、山と浜との中間にあたる西国街道の二本松に陣したのである。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生田、和田ノみさき、会下山えげさん、湊川、見えるところの山野は、期せずして先おととい頃からこの地方へ逃げ集まって来た足利方の兵馬だった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和田ノみさきから塩打山の低い砂丘さきゅうを左にひかえ、右には正成の会下山えげさんようし、いわば大手の関門をすものとしていい。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「その正成なら、今日の戦いには、こうあろうはず……。あわれ、みずから死地を求めて会下山えげさんったとみゆる」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜ義貞自身が会下山えげさんらなかったか。会下山こそは、総本陣たるべき地相である。これはおかしい。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正成の床几しょうぎは、その会下山えげさんの上でも見晴らしのいい所におかれ、今朝から静かな姿をすえていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きのう、清盛の雪ノ御所をたずねて、麓まで行った会下山えげさんは眼のまえだ。摩耶まや鉄拐てっかい鉢伏はちぶせなど、神戸から須磨すま明石あかしへかけて、市街の背光をなしている低山群も、山姿すべてあざらかである。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
車へもどって、すぐそこから市の北陵にある会下山えげさんへ急ぐ。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)