三木竹二みきたけじ)” の例文
派という条、実は鴎外が単独ひとりで八人芸をしていたので、弟の三木竹二みきたけじの外には鴎外の片腕の指一本の力となるものすらもなかった。
その四月に歌舞伎座で森鴎外もりおうがい博士の「日蓮辻説法にちれんつじせっぽう」が上場された。恐らくそれは舎弟の三木竹二みきたけじ君の斡旋あっせんるものであろうが、劇界では破天荒の問題として世間の注目をいた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お兄様(鴎外)は何でも同じ本は重ねておじになり、表紙を附けてお置きになるし、お兄さん(三木竹二みきたけじ)は扱いにくいから、別々にして置きたいといって、いつも争いになるのでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
学生風なのはその頃マダ在学中の三木竹二みきたけじで、兄弟して款待されたが、三木君は余り口を開かなかった。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
それらの事情から、とても芝居のぞきどころの騒ぎではないので、わたしは自分が受持ちの劇評を三木竹二みきたけじ君にたのんで、編集の仕事と従軍の準備とに昼夜をあわただしく送っていた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ずっと後のことですが、次兄の篤次郎は筆名を三木竹二みきたけじといって、大の芝居好しばいずきで、九代目団十郎が贔屓ひいきでした。その団十郎が「高時たかとき」を上演しました時に、勧められて祖母と一緒に見に行きました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)