“よしのり”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
義教33.3%
能憲8.3%
敬儀8.3%
美徳8.3%
義則8.3%
義就8.3%
義憲8.3%
良則8.3%
良範8.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
殷鑒いんかん遠からず、現に嘉吉元年将軍義教よしのりは、重臣赤松満祐みつすけしいされて居るのである。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
上杉能憲よしのりは流刑になった。同時に、直義の厳命で、師直師泰の余党検挙が、各地の国元や洛内でその日から開始された。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「師直、師泰の死から早や二十日の余もたっている。だのになぜ、下手人の上杉能憲よしのりを依然そのままにしておくか。それがお気に食わんのでしょう」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
才助は後の陸軍歩兵大尉石塚敬儀よしのりである。原来棠軒日録には殆日ごとに「石川へ行」、「石川へ寄」等の文がある。是は石川貞白である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
十五歳八歳当歳の寝息を左右に聞きながら蒲団の中、腹這いのままの無礼を謝しつつ。田所美徳よしのり。太宰治様。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
と、義則よしのり君が口をとがらして下駄屋の小母さんにいいました。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
東軍には尚細川政国、西軍には大内政弘、畠山義就よしのり等闘志満々たる猛将が控えて居る。併し両軍の将士に戦意が揚がらなくなったことは確かだ。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
西南諸島を巡歴してきた大森義憲よしのり氏の旅行記によって、とくに宮古島みやこじまが注意すべき一つの中心地なることを感じ始めたのである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私はその日良則よしのりの生菓子を持たせて使の者に手紙を添えて先方へやりまして、女子の身で絵の修業の熱心なあまりとは申しながら、端無はしたない出過ぎたお邪魔をしまして済みませぬでした
座右第一品 (新字新仮名) / 上村松園(著)
ところが、おなじ摂関家の孫でいながら、藤原純友は、父良範よしのりの代から、地方官に追いやられていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)