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よしのぶこう
そこへ象山が松代藩から六百石の格式でやって来て、
山階宮に伺候したり
慶喜公に会ったりして、
彦根への御動座を
謀るといううわさが立ったものですからね。
討取猶三の柵片原町なる
大學が
持場迄此勢ひに
崩れんとする處へ本城より
加勢として
木村長門守重成後藤又兵衞
基次秀頼公の
仰に隨ひ
繰出したりと
讀て彦兵衞
莞爾と
笑ひながら是よりは佐竹樣
大負と成て
御家老衆討死致され佐竹左中將
義宣公も危い處へ佐竹六郎殿
駈付て討死致されたればこそ佐竹樣危き命を