“もとやす”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
元康40.0%
基康20.0%
基安20.0%
本康20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
山の手のほうにっているのが、今川方の将朝比奈主計あさひなかずえの軍勢であり、街道よりに陣しているのが、三河の松平元康もとやすの兵と見えた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕は以前久米正雄くめまさをと、この俊寛しゆんくわんの芝居を見た。俊寛は故人段四郎だんしらう千鳥ちどり歌右衛門うたゑもん基康もとやす羽左衛門うざゑもん、——他は記憶に残つてゐない。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
丹左衛門尉基康たんのさゑもんのじやうもとやすは、俊寛成経なりつね康頼等やすよりら三人の赦免状しやめんじやうを携へてゐる。が、成経なりつねの妻になつた、島の女千鳥ちどりだけは、舟に乗る事を許されない。正使せいし基康もとやすには許す気があつても、副使の妹尾せのをが許さぬのである。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
おれは気の毒に思うたから、女はとがめるにも及ぶまいと、使の基安もとやすに頼んでやった。が、基安は取り合いもせぬ。あの男は勿論役目のほかは、何一つ知らぬ木偶でくの坊じゃ。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
江戸にあつては初め本康もとやす宗円に識られ、宗円これを多紀茝庭さいてい、小島宝素、喜多村栲窓かうさう等に紹介した。住所は初め通三丁目であつたが、晩年牛込横寺町に移つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)