“まさかた”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
政形25.0%
正容25.0%
正方25.0%
雅賢25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
書記の机には市川義平太が着席し、なおその与力席に、上杉政形まさかた、加藤直枝など三、四名も居並んでいた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正弘六世の祖備中守正邦まさくにすゑの子に小字せうじを百之助と云ふ人があつた。後の隼人正容まさかたである。正徳五年正月に父正邦がみまかり、三月に兄伊勢守正福まさよしが所領の内五千俵を割いて正容に与へた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
枳園きえんはこの年七月に東京から福山にうつった。当時の藩主は文久元年に伊予守正教まさのりのちけた阿部あべ主計頭かぞえのかみ正方まさかたであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
按察使大納言資賢あぜちのだいなごんすけかたの孫、右少将雅賢まさかたも鎧に立烏帽子という姿で出陣していたが、樋口次郎兼光の手にかかって生け捕りにされた。