トップ
>
しょうせんこう
ふりがな文庫
“しょうせんこう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
商船黌
50.0%
昭宣公
50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
商船黌
(逆引き)
初め
麹町
(
こうじまち
)
八丁目の
鳥羽
(
とば
)
藩主稲垣対馬守
長和
(
ながかず
)
の邸内にあったのが、中ごろ築地海軍操練所内に移るに及んで、始めて攻玉塾と称し、次で
芝
(
しば
)
神明町
(
しんめいちょう
)
の
商船黌
(
しょうせんこう
)
と、
芝
(
しば
)
新銭座
(
しんせんざ
)
の陸地測量習練所とに分離し
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
しょうせんこう(商船黌)の例文をもっと
(1作品)
見る
昭宣公
(逆引き)
中御門
(
なかみかど
)
の北、堀川の東一丁の所にあった時平の居館の名で、当時時平は故
関白
(
かんぱく
)
太政
(
だじょう
)
大臣
基経
(
もとつね
)
、———
昭宣公
(
しょうせんこう
)
の
嫡男
(
ちゃくなん
)
として、時の
帝
(
みかど
)
醍醐
(
だいご
)
帝の皇后
穏子
(
おんし
)
の兄として、権威並びない地位にあった。
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
しょうせんこう(昭宣公)の例文をもっと
(1作品)
見る