商船黌しょうせんこう)” の例文
初め麹町こうじまち八丁目の鳥羽とば藩主稲垣対馬守長和ながかずの邸内にあったのが、中ごろ築地海軍操練所内に移るに及んで、始めて攻玉塾と称し、次でしば神明町しんめいちょう商船黌しょうせんこうと、しば新銭座しんせんざの陸地測量習練所とに分離し
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)