“げんばのかみ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
玄蕃頭85.7%
玄蕃守14.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そこへ江戸から乗り込んで行ったのが田沼玄蕃頭げんばのかみだ。田沼侯は筑波以来の顛末てんまつを奏して処置したいとの考えから、その年の正月に京都の東関門に着いた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
筑後國久留米二十一万石の大守有馬玄蕃頭げんばのかみ上屋敷、三田通りの一角に水天宮を勸進し、正式に諸人の參詣を許したのはずつと後の寛政年間で、日本橋に移つたのは明治になつてからですが
かゞもし斯樣々々かやう/\の女にあひ給はずやと問掛とひかけられ九助は一向見掛ぬ旨こたへれば彼者又水呑村に九助殿と申人が御座るかときくゆゑハイ其九助は私しで御座ると云に夫はさいはい某しは松平玄蕃守げんばのかみ家來石川安五郎と申者樣子有て今御たづね申處なりと懷中ふところより書簡てがみ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)