百日紅さるすべり)” の例文
百日紅さるすべりの花は散りつくして、石仏の脇にあるはぜの木がみごとに紅葉していた。我流の庭造りにもとりえはあるんだな、と彼は思った。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お初の門口かどぐちには大きな百日紅さるすべりの木が立っていました。六三郎はやがてその木の下まであるいて来ると、内から丁度にお初が出て来ました。
子供役者の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
脊丈のほどもおもわるる、あの百日紅さるすべりの樹の枝に、真黒まっくろ立烏帽子たてえぼし鈍色にぶいろに黄を交えた練衣ねりぎぬに、水色のさしぬきした神官の姿一体。
茸の舞姫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
舊くはあるがゆかしい家中かちゆう屋敷で、庭に咲く百日紅さるすべり、花はないまでも桔梗、芍藥なぞ、この地方の夏はそこにも深いものがあつた。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
凌霄花のうぜんかずらはますます赤く咲きみだれ、夾竹桃きょうちくとうつぼみは後から後からとほころびては散って行く。百日紅さるすべりは依然として盛りの最中である。
虫の声 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
少女おとめは神崎の捨てた石を拾って、百日紅さるすべりの樹に倚りかかって、西の山の端に沈む夕日を眺めながら小声で唱歌をうたっている。
恋を恋する人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
サト子のほうへは目端めはしもくれず、庭の百日紅さるすべりの花をながめながら、大人物の風格で悠然と朝の食事をすませると、女中に食器をさげさせた。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
が、いよいよ目指す海岸へ出た喜びに、その辺の百日紅さるすべりの手頃な枝を切って、洋杖ステッキなぞを削りながら足も軽やかに、山を降りていたのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
夕闇がせまっていて百日紅さるすべりの幹だけが、軟らかに浮きあがって見えた。僕は庭の枝折戸に手をかけ、振りむいてマダムにもいちど挨拶した。
彼は昔の彼ならず (新字新仮名) / 太宰治(著)
楓を植ゑ込んである馬車廻しの中に、たゞ一本の百日紅さるすべりが、もう可なり強い日光の中に、赤く咲き乱れてゐるのが目に付いた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
霊柩車が市営火葬場の入口で停ると、彼は植込みのみちを歩いて行った。花をつけた百日紅さるすべりやカンナの紅が、てらてらした緑のなかに燃えていた。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
本郷妻恋ほんごうつまごい一丁目、門垣根もんがきね百日紅さるすべりがあって、挿花はなの師匠の若後家と聞けばすぐ知れますよ。エエ、それがわたしの化身けしんなの
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西には養老の山脈、はるかには伊吹山、北には鉄橋を越えて、岐阜の金華山、かすかに御岳。つい水のむこうが四季の里の百日紅さるすべり
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
今は百日紅さるすべりが美しい。私の庭には、たつた一本あるばかり、それもさう大して大きいのではないが、亡兄の遺愛の樹であるので、私は大事にした。
中秋の頃 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
その井戸に被さるようになった百日紅さるすべりの大木があるのが私には珍しくて、曲った幹のつるつるしたのをでて見ました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
ゑんじゆこれに次ぐ。その代り葉の落ち尽す事早きものは、百日紅さるすべり第一なり。桜や槐のこずゑにはまだまばら残葉ざんえふがあつても、百日紅ばかりは坊主ばうずになつてゐる。
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
枯れ木に花の咲いたような、百日紅さるすべりが一本、すぐ横手に立っている。そのこずえ高く、やにわにせみが鳴きだした。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
あの寺の境内に百日紅さるすべりが咲いていた時分、この百日紅が散るまでに美学原論と云う著述をすると云うから、駄目だ、到底出来る気遣きづかいはないと云ったのさ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
百合ゆり百日紅さるすべりとが咲いて居た——その人気のない大きな家に年とつた母と二人きりで居た小娘、その白い美しい足と手の指とが彼のうつつの夢に現はれたあの娘。
米友は百日紅さるすべりの枝を伝って、塀を乗り越してやって来ました。米友の投げた小石をそらした竜之助は、刀を抱えて、障子をあけて、家の中へ入ってしまいました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「扶病歩園。従来遊戯作生涯。酔歩吟行少在家。病脚連旬堪自笑。扶筇纔看薬欄花。」その百日紅さるすべりがさいてゐたので、蘭軒は折らせて阿部邸の茶山が許に送つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
坂下に止っていた汲取屋の馬車馬が、どうしたはずみかながえから脱けて、そのままトコトコと坂をのぼり、百日紅さるすべりの枝の下をくぐって、いきなり私の庭に入ってきた。
庭の眺め (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
植えた木には、しきみや寒中から咲く赤椿など。百年以上の百日紅さるすべりがあったのは、村の飲代のみしろに植木屋に売られ、植木屋から粕谷の墓守に売られた。余は在来の雑木である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「お菊殿おいとまをいたします」と、このように声をかけておいて、捨て石につっぷして泣きじゃくっているお菊へ背中を向けたかと思うと百日紅さるすべりの立ち木の幹をまわって
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
萩もまだ盛りとゆかず、僅に雁来紅、百日紅さるすべり、はちすの花などが秋の色をあつめている。
九月の或る日 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ゴツゴツした松の木肌の感触を嫌われた先生は、自然の反対現象として、柳、かえで百日紅さるすべりなぞの肌のなめらかな木が好きであった。目黒の遺邸の庭には、空を覆う百日紅がある。
解説 趣味を通じての先生 (新字新仮名) / 額田六福(著)
周りは小さい丘や築山つきやまの名残りをとゞめた高みになつてゐて、相当な庭園だつた証拠には、かえでとか百日紅さるすべりとかいふ観賞樹の木の太さに、庭師のしつけが残つた枝振りで察しられた。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
木のしょうはまるで違うが、花の趣が遠目とおめにはどこか百日紅さるすべりに似たところがある。その後も志下にはたびたびったが、駐在所ちゅうざいしょわきなどに栽植せられているのを見るようになって来た。
大抵普通の大きさが普通の鉄瓶位いのものと思っていた百日紅さるすべりの幹を試みに私は両手で抱えて見たが、なかなかその半ばにも及ばず、両人で腕を伸ばし合って辛うじて抱き廻すことが出来た。
みなかみ紀行 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
そして、百日紅さるすべりはなが、ふさのつけからもがれていました。
二百十日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
福済寺ふくさいじにわれ居り見ればくれなゐに街の処々ところどころ百日紅さるすべりのはな
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
郊外の道路には百日紅さるすべりの花が落ちた。一夏の間、熱い寂しい思をさせた花が、表の農家の前には、すこし色のめたままで未だ咲いていた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かえでを植え込んである馬車廻しの中に、たゞ一本の百日紅さるすべりが、もう可なり強い日光の中に、赤く咲き乱れているのが目に付いた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
朝涼あさすゞのあいだと云っても一里半ほどの路を来たので、駕籠屋は汗びっしょりになって、店さきの百日紅さるすべりの木の下でしきりに汗を拭いています。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「それが駄目でした。この百日紅さるすべり油蝉あぶらぜみがいっぱいたかって、朝っから晩までしゃあしゃあ鳴くので気が狂いかけました。」
彼は昔の彼ならず (新字新仮名) / 太宰治(著)
寺の敷地は門よりも低くなっていて、石磴せきとうを下ること五、六段。掃除のよく行きとどいている門内には百日紅さるすべりの花のなお咲き残っているのを見た。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
飯島では、まだ百日紅さるすべりの花が咲いているというのに、北鎌倉の山曲やまたわではすすきの穂がなびき、日陰になるところで、山茶花さざんかつぼみがふくらみかけている。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
夏の烈しい日の光、芭蕉の広い葉に並んで百日紅さるすべりの燃えるやうな色、南国の夏の暑さははつきりした快感を与へた。
(新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
縁先の庭には百日紅さるすべりが一本、——彼は未だに覚えてゐる。——雨を持つた空の下に赤光りに花を盛り上げてゐた。
或阿呆の一生 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
百日紅さるすべりあり、花桐はなぎりあり、また常磐木ときわぎあり。梅、桜、花咲くはここならで、御手洗みたらし後合うしろあわせなるかの君の庭なりき。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
古い大きな百日紅さるすべりがたくさんあるので名高い境内を、庫裡くりのほうへゆくと、客殿の縁側に由利江が立っていて、額にかざしている小扇でこちらへ合図をした。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
汗が、茶帷子ちゃかたびらの背に滲み出している。寺院の築地ついじをすぐ横へ曲った。百日紅さるすべりの花がすぐ眼について
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今日も庭の百日紅さるすべりの梢に蛇が居る。何処かの杉の森でふくろがごろ/\のどを鳴らして居る。麦が収められて、緑暗い村々に、すこしの明るさを見せるのは卵色の栗の花である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
庭には石灰屑を敷かないので、綺麗きれいな砂が降るだけの雨を皆吸い込んで、濡れたとも見えずにいる。真中に大きな百日紅さるすべりの木がある。垣の方に寄って夾竹桃きょうちくとうが五六本立っている。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのとなりに古風な黒板塀の家があって、黒板塀の上から盛りの百日紅さるすべりの花がさし出しています。その町すじに黒板塀の家なんかたった一軒、そのお医者さんのところだけです。
馬酔木あせびくさむら百日紅さるすべりの老木や、灌木などの飛び散っている、この裏庭の奥まった所に、一つの捨て石を横手に据えて、たたずみながら愉快そうに、元気よく軽く喋舌っているのは
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私はまたこの晴れた日の大江たいこうしものあなたを展望した。長堤は走り、両岸の模糊もこたる彎曲線のすえは空よりやや濃くくろんで、さて、花は盛りのべにと白とのこの庭の百日紅さるすべりの近景である。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
その調子はまだ整っていないので、時に順一たちを興がらせるのであったが、今は誰も鶏の啼声に耳を傾けているものもなかった。暑い陽光ひざしが、百日紅さるすべりの上の、静かな空にみなぎっていた。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
父には五つの歳に別れまして、母と祖母ばばとの手で育てられ、一反ばかりの広い屋敷に、山茶花さざんかもあり百日紅さるすべりもあり、黄金色の茘枝れいしの実が袖垣そでがきに下っていたのは今も眼の先にちらつきます。
女難 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
むなしく百日紅さるすべりの枝に向って、その余憤を漏らすというようなわけでありました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)