愛宕山あたごやま)” の例文
これしかしながら汽車きしやがやがて飛行機ひかうきつて、愛宕山あたごやまから大阪おほさかそらかけ前表ぜんぺうであらう。いや、割床わりどこかた、……澤山たんとおしげりなさい。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そのころ愛宕山あたごやまふもとには仏蘭西フランス航空団とかいた立札が出してあったが、飛行機はまだ今日こんにちの如く頻繁に空を走ってはいなかった。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
JOAKのある愛宕山あたごやまは、東京の中心、丸の内を、僅かに南に寄ったところにった。それは山というほど高いものではない。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
わび言をしてそこを出て飯を食いなどして、愛宕山あたごやまでまた一日寝ていて、その晩は坂を下るふりをして、山の木の茂みへ寝た。
柵の中は、左程広くもない運動場になつて、二階建の校舎が其奥に、愛宕山あたごやま欝蒼こんもりした木立を背負しよつたやうにして立つてゐる。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
行手には唐人とうじんかむりを見る様に一寸青黒いあたまの上の頭をかぶった愛宕山あたごやまが、此辺一帯の帝王がおして見下ろして居る。御室おむろでしばらく車を下りる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
品川の海はいま深い夜のもやに包まれて、愛宕山あたごやまに傾きかけたかすかな月の光が、さながら夢のように水の面を照している。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
北に保津川ほづがわの一水を隔てて、愛宕山あたごやまや龍ヶ嶽の諸峰をのぞみ、南は明神ヶ嶽、東は大枝山というふうに、山裾から山裾にかこまれている一盆地だ。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
門は直ぐ道路のペーヴメントに沿うて建てられてあったから、この入口から寺の玄関まで、およそ愛宕山あたごやまの三分の一ほどの登り坂になるわけである。
褐色の求道 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「三月某日、芝愛宕山あたごやまで奉納試合をするが、そのとき当道場からも参加して貰えますか」という申込みであった。
主計は忙しい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
峠のものは熊野くまの大権現だいごんげんに、荒町のものは愛宕山あたごやまに、いずれも百八の松明たいまつをとぼして、思い思いの祈願をこめる。宿内では二組に分かれてのお日待ひまちも始まる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「何某の大店おおだなの表看板を打ちこわして、芝の愛宕山あたごやまへ持って行ってあったそうな。不思議なこともあるものだ」
愛宕山あたごやま太郎坊たろうぼう、夜な夜なわがもとに忍んで極意秘術をさずけるといい広め、そこで名づけたのがこの微塵流みじんりゅう
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
五日は仙台市の祝勝日で、この朝、十時、愛宕山あたごやまに於いて祝砲一発打揚げたのを合図に、全市の工場の汽笛はうなり、市内各駐在所の警鐘および社寺備附そなえつけの梵鐘ぼんしょう鉦太鼓かねたいこ
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
今の芝公園と愛宕山あたごやまさかいのところを「切通し」という、昼間からよいの口までは相当賑であったが、夜がけると寂しくなり、辻斬などもしばしば行われた、翁は子供心に
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
かれは反対におかの方角を仰いで、あたかも愛宕山あたごやまあたりの空を示しているのであった。
半七捕物帳:32 海坊主 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
八九 山口より柏崎へ行くには愛宕山あたごやますそまわるなり。田圃たんぼに続ける松林にて、柏崎の人家見ゆる辺より雑木ぞうきの林となる。愛宕山のいただきには小さきほこらありて、参詣さんけいの路は林の中にあり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
伏見に部屋を見つけるまで、隠岐の別宅に三週間ぐらい泊っていたが、隠岐の別宅は嵯峨さがにあって、京都の空は晴れていても、愛宕山あたごやまが雪をよび、このあたりでは毎日雪がちらつくのだった。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
しかし愛宕山あたごやまから見ると品川の沖がこの一寸のなかに這入はいってしまう。明治の四十年を長いと云うものは明治のなかに齷齪あくせくしているものの云う事である。後世から見ればずっと縮まってしまう。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「うん、おれは愛宕山あたごやま茨木童子いばらぎどうじだ。毎晩まいばんここへ出て人をとるのだ。」
羅生門 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
このオーケストラは、ドルの国アメリカ国内をはじめ、欧州各地から各楽器奏者をドルの力で集めた全く独立した優秀楽団で、日本の愛宕山あたごやまのオーケストラのような新響の別働隊とは全く類を異にする。
五条の橋から遥に愛宕山あたごやまを望むと、恰も熔鉱炉の底から煽り上る熱気に似た陽炎かげろうが麓に打ち煙って、遠くの野や林はもやもやと霞に曇り、近い町々のいらかや石垣や加茂川の水は、正視するに忍びない程
恐怖 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「ええ。一しょに愛宕山あたごやまに泊まっているの」
普請中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
藪入やよそ目ながらの愛宕山あたごやま
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
愛宕山あたごやま、茶店。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
愛宕山あたごやまの上では、暗黒の中に、高射砲が鳴りつづいていた。照空灯が、水色の暈光うんこうをサッと上空にげると、そこには、必ず敵機の機翼きよくが光っていた。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
こころみに初めてあわせを着たその日の朝といわず、昼といわず、また夕暮といわず、外出そとでの折の道すがら、九段くだんの坂上、神田かんだ明神みょうじん湯島ゆしま天神てんじん、または芝の愛宕山あたごやまなぞ
なから舞いたりしに、御輿みこしたけ愛宕山あたごやまかたより黒雲にわかに出来いできて、洛中らくちゅうにかかると見えければ、——
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あなたは、誰かへ書いて与えた詩に、亀山城の北にある愛宕山あたごやまを、周山しゅうざんなぞらえ、御自身を周の武王に比し、信長公をいん紂王ちゅうおうとなしたようなことはありませぬか
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岸本の下宿のあるところから愛宕山あたごやまへは近かった。そこへ子供を連れて行く折なぞは、泉太や繁が父と一緒に歩き廻ることを楽みにするばかりでなく、君子までも嬉しそうにいて来た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
忽然こつぜんとして立って人にいって曰いわく、ああ、今夜は自分の吹く簫の声が尋常でない、おそらくはこの都下に大変が起ろうも知れぬ、とせて愛宕山あたごやまに上って僧院に泊ったところが、その夜
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
遠く岩手いはて姫神ひめかみ南昌なんしやう早池峰はやちねの四峰をめぐらして、近くは、月に名のある鑢山たゝらやま黄牛あめうしの背に似た岩山いはやま、杉の木立の色鮮かな愛宕山あたごやまを控へ、河鹿かじか鳴くなる中津川の淺瀬に跨り、水音ゆるき北上の流に臨み
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
愛宕山あたごやま茨木童子いばらきどうじ。」
鬼六 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
なから舞ひたりしに、御輿みこしたけ愛宕山あたごやまかたより黒雲くろくもにわか出来いできて、洛中らくちゅうにかゝると見えければ、——
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
また少しく小高こだかい処は直ちに峨々がゝたる山岳の如く、愛宕山あたごやま道灌山どうかんやま待乳山まつちやまなぞと呼ばれてゐる。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
御承知でもございましょうが、盛衰記に——柿本かきのもと紀僧正きのそうじょうは日本第一の天狗と成って愛宕山あたごやまの太郎坊と申さるる也——と見えますのは、当山の太郎坊の縁起とされております。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
愛宕山あたごやま山顛さんてんには、闇がいよいよ濃くなって来た。月のない空には、三つ四つの星が、高い夜の空に、ドンヨリした光輝こうきを放っていた。やや冷え冷えとする、風のない夜だった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
また少しく小高こだかい処は直ちに峨々ががたる山岳の如く、愛宕山あたごやま道灌山どうかんやま待乳山まつちやまなぞと呼ばれている。
帆村荘六は、今、愛宕山あたごやまの上に立っている。そこには、警視総監をはじめ、例の田所検事やその他、要路のお歴々れきれきが十四、五名もあつまり、まっくらな山の上で、何ごとかを待っているのだった。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
花の愛宕山あたごやまに、夕雲が紅かった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といっているとき、夜の静寂せいじゃくを破って、どどーんの一大音響が聞え、愛宕山あたごやまが、地震のように動いた。それと同時に、山手寄りの町に炎々えんえんたる火柱がぐんぐん立ちのぼって、天をがしはじめた。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
愛宕山あたごやまを前にして日本橋京橋から丸の内を一目ひとめに望む事が出来る。