てい)” の例文
「この結目を解いたものは東方のていたらんと云う神託しんたくを聞いたとき、アレキサンダーがそれなら、こうするばかりだと云って……」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
延凞えんきの年号は、二十年を以てあらためられ、景燿けいよう元年となった。てい劉禅りゅうぜんは、この頃からようやく国政にみ、日夜の歓宴にひたりはじめた。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たゞしあらためあしき御政事おんせいじ當時は何時にても此皷このつゞみうち奏聞そうもんするにていたとへば御食事おんしよくじの時にてもつゞみおとを聞給ひたちまち出させ給ひ萬民ばんみんうつたへ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
(四)「けい」「てい」「めい」のようにエ段音の次にイ音が来たものは、文字通りケイテイメイと発音していたのであるが、江戸後半の京都方言では
国語音韻の変遷 (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
もつとも、その球突塲たまつきば廢業はいげうしたせゐもあるが、先生もこのころ明治めいちてい繪畫館くわいぐわくわん壁畫へきぐわ御揮毫ごきごうにお忙しくもあるらしい。
文壇球突物語 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
ここに至りて人その言の応を知りぬ。燕王今はていたり、宮人内侍ないじなじりて、建文帝の所在を問いたもうに、皆皇后の死したまえるところを指してこたう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
フリィドリッヒてい博物館はくぶつかんなどにはふる美術品びじゆつひんばかりがあつめてあり、ベルガモンといふところからつてたギリシヤの彫刻ちようこくれるため、すばらしい設備せつびがしてあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
ずゐ沈光ちんくわうあざな總持そうぢ煬帝やうだいつかへて天下第一てんかだいいち驍捷はやわざ達人たつじんたり。ていはじめ禪定寺ぜんぢやうじ建立こんりふするときはたつるに竿さをたか十餘丈じふよぢやうしかるに大風たいふうたちまおこりてはた曳綱ひきづないたゞきよりれてちぬ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
てい劉禅りゅうぜん闇弱あんじゃく、楊儀の失敗、董允とういん蒋琬しょうえんの死去、費褘ひい奇禍きか、等々、国家の不幸はかさなっていた。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝廷ていもとむることみつなれば、帝深くひそみてでず。このとし傅安ふあんちょうに帰る。安の胡地こち歴游れきゆうする数万里、域外にとどまるほとんど二十年、著す所西遊勝覧詩せいゆうしょうらんしあり、後の好事こうずの者の喜び読むところとなる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ていしきりふたゝんことをほつしてつひ如何いかんともすることあたはず。侍中じちうすゝんでいはく、だつ鯔魚しぎよたしむ、ねこにまたゝびとうけたまはる。しんねがはくはこれくせんと、いたゑがいて兩生りやうせい鯔魚しぎよをどらし、きしけてみづうかゞふ。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
孔明は成都に還ると、すぐ参内さんだいして、天機を奉伺し、てい劉禅りゅうぜんへこう奏した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)