ちょう)” の例文
その後出雲氏は蘇我氏に出入し多くのちょうこうむったが、蘇我氏亡びて親政となるや冗官じょうかんを廃する意味においてたちまち官途を止められた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いろ勝ちの臥床ふしどの上に、楚々そそと起き直っている彼女を一目見て、なるほど公方くぼうちょうをほしいままにするだけの、一代の美女だと思った。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
だが、曹叡にも、一面の薄幸はつきまとった。母の甄氏しんしちょうはようやくせて、郭貴妃かつきひに父曹丕そうひの愛が移って行ったためである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藩主のちょうばかりでなく、重臣たちの信望もあついようだ。かつて、宰相の質がある、と評されたが、八束はみずからそれを証拠だてつつある。
竹柏記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
幼きものは、母を競争者として、父のちょうを争った。そして、蘭子は赤ちゃんの時代すでに「ダグラスかしからざれば仕立屋銀次」
江川蘭子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と、ナオミはその晩尋ねましたが、彼女の口調はいかにも老嬢のちょうたのんで、すっかりたかをくくっているように聞えました。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
寵愛ちょうあいいよいよ厚きを加えたが、その後きさきちょうおとろえたとき、かつて食い残した品を捧げた無礼のけんによりてばっせられたという。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
このほど大王何処いずくよりか、照射ともしといへる女鹿めじかを連れ給ひ、そが容色におぼれたまへば、われちょうは日々にがれて、ひそかに恨めしく思ひしなり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
女たちは少年の心のうつろを見過ごしてただ形の美しさだけをちょうした。逸作は世間態にはまず充分な放蕩児ほうとうじだった。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
彼は、国者くにものという、——何という哀れな、せせこましい、けちくさいことだろう、——理由で、船長のところへ、日ごろのちょうたのんで出かけて行った。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
ええ、何んでも此処ここは、けら鉤闌こうらんの下に月に鳴く、文帝ぶんていちょうせられた甄夫人けんふじんが、のちにおとろえて幽閉されたと言うので、鎖阿甄あけんをとざす。とあって、それから
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そんなことから、彼はクラスのちょうを一身にあつめた。わかい群集は英雄の出現に敏感である。ブルウル氏は、それからも生徒へつぎつぎとよい課題を試みた。
猿面冠者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
院は今でも平生のお住居すまいは対のほうに決めていらっしゃるようですね。宮様はどんな気持ちでいられるだろう。朱雀すざく院様が御秘蔵になすった方が、第一のちょう
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
子供が玩具おもちゃに飽きるように、美和子はたちまち美沢を放り出して、新子の生活に侵入して来て、今度は新子を向うに廻して、前川のちょうを争うつもりでいるらしい。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「高田殿は乱行、若き男子おとこを屋敷内に引入れて、ちょう衰えると切殺し、井戸の中に死骸を捨てられるよ」
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
王ははじめ大海人皇子おおあまのみこ(天武天皇)のもとに行かれて十市皇女とおちのひめみこを生み、のち天智天皇にちょうせられたことは既に云ったが、これは近江に行ってから詠まれたものであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
浪人者の乱入でもない、実に予想外の人に疑いがかかればかかるもので、その犯人は、このごろお代官のちょうを専らにしている愛妾のお蘭の方が情人を手引して殺させ
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
僧二 お師匠様の名によって、おのれの非をおおおうとするのは横着というものです。いったいお師匠様はあなたを買いかぶっていられます。あなたはちょうに甘えています。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
大和やまと春日かすが神社に奉仕していた大和猿楽師さるがくしの中、観世座かんぜざ観阿弥かんなみ世阿弥ぜあみ父子が義満のちょうによって、京都に進出し、田楽でんがくの座の能や、諸国の猿楽の座の芸を追い抜いて
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
陵の従弟いとこに当たる李敢りかんが太子のちょうを頼んで驕恣きょうしであることまでが、陵への誹謗ひぼうの種子になった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
成島氏の家はもと同朋どうぼうであったが、錦江が八代将軍吉宗よしむねちょうせられて奥儒者に挙げられてから、これを世襲の職となし、伝えて竜州、衡山、東岳、稼堂より確堂に至った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
昔常盤御前が操を破りて清盛につかえ娘を設けたは三子の命乞い故是非なしとして、そのちょう衰えては出家して義朝の跡を弔いそうなところ、いわゆる三十後家は立たないせい
養父母のちょうを欲しいままに専有しる狭い世界のうちに起きたりたりする事より外に何にも知らない彼には、すべての他人が、ただ自分の命令を聞くために生きているように見えた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
恵美の押勝は女帝のちょうに威をかりる威張り屋で、自分の安泰のために兄や一族をおとしいれても、とにかく他の藤原一族にくらべると、お人よしで、どこか間がぬけたところがあった。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
一番若い十八九のお辰が孫右衛門のちょうを一身に集めたことは考えられます。
参謀長磊落らいらく物にかかはらざるが如くわれらに向つて常に好意を表す。しかれどもいまだかつて管理部長を叱責せしことを聞かざるなり。これまたその磊落なるの致す所かた部長特にそのちょうを得たるか。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
誰でもが隠居のちょうを得ようとつとめていた。
万年青 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
これぞその時代扶桑ふそう第一、天文暦数の大儒者として、吉宗将軍のちょうを受け、幕府天文方の総帥となった、求林斎西川正休きゅうりんさいにしかわまさやすである。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
将軍尚寵しょうちょうは、性行淑均しゅっきん軍事に暁暢ぎょうちょうし、昔日せきじつに試用せられ、先帝これをよしとのたまえり。これを以て衆議、ちょうをあげて督となせり。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三斎の娘の浪路こそ、公方くぼうに仕えて、大奥随一のちょうをほしいままにしているということは、どこの誰でも知っている。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
初め大海人皇子おおあまのみこ御婚みあいして十市皇女とおちのひめみこを生み、ついで天智天皇にちょうせられ近江京に行っていた。「かりいほ」は、原文「仮五百かりいほ」であるが真淵のこうでは、カリホと訓んだ。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
東宮の御母女御は皇子たちが多くお生まれになってみかどの御ちょうはますます深くなるばかりであった。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
清盛のちょうが衰えた後の常盤御前が、大蔵卿長成というお公卿くげさんに縁づいたということだけは、物の本にもみんな書いてありますが、それから後のことは、あまりわかりません。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼らの方では、幾分の不気味さと多分の軽蔑とをこの男に感じているだけだ。父のちょうの厚いのに大して嫉妬しっとを覚えないのは、人柄の相違というものに自信をもっているからであろう。
牛人 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ときどき七彩の幻に静慮する回教に、なぜ南方民族のちょうをば奪われたのであろうか。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その栄達えいたつにあきたらず、ちょうをたのんで、諸兄を退け、皇太子の廃立を行い、陰謀によって敵を平げ、その兄すらも退けた。あとを襲って右大臣となり、二年の後に、太政大臣に累進るいしんした。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
これは主君能登守正陟のとのかみまさのぶが、ふたりの質と、ふたりの能力を合わせたところに嘱望したからだと云われた。たしかにそういう評判がたってもよいほど、正陟のふたりにたいするちょうはあつかった。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかし、いかに道誉が、その弁舌と、しおらしさとで、高時のちょうを、いぜんのとおりに取りもどしても、それだけではなお、事はすまない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
駿河へ行って今川家を訪ね、俺は奥方のちょうを受け、園は義元の寵を受けた。だが三月目に逃げ出した。お手もと金を奪い取り、二人こっそり手に手を取り。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それが今では、隠居いんきょして家督を、伜繁助に譲り、末娘が将軍の閨房けいぼうの一隅にちょうを得、世ばなれた身ながら、隠然いんぜんとして権力を、江都に張っていたのであった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
相手が帝でおありになっても、第一のちょうはなくて、ただ御愛人であるにとめられて、あやふやな後宮の地位を与えられているようなことは、女として幸福なことではないのである。
源氏物語:31 真木柱 (新字新仮名) / 紫式部(著)
幸いにしてその後、みどりの身の上には格別のあぶないこともなく、ほかの侍女こしもとどもが主人のちょうもっぱらにしておりますので、引込みがちで隠れた仕事をのみして日を送っておりました。
祖母はこの姉の安宅先生を特にちょうしてかしずいたわって育て上げた。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
いつごろから後醍醐にちょうされたかは、さだかでないが、しかし、その後宮や側近らにもうとまれて、とかく帝の寵から遠ざけられていたのも
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
或いはもう一人のお妾のためにちょうを奪われたその恨みだとも言い、またはこのお妾に別に情夫があって、それとまた他の女との鞘当さやあての恨みだとも言い、揣摩臆測しまおくそくはしきりでしたけれども
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
みかどにも宮仕えを深く希望することを大臣は申し上げてあったので、もう妙齢に達したはずであると、年月をお数えになって入内じゅだいの御催促が絶えずあるのであるが、中宮ちゅうぐうお一人にますますちょうが集まって
源氏物語:46 竹河 (新字新仮名) / 紫式部(著)
おゆうも、もとよりそれを察し、いつかはと、秀吉のちょうに別れる日を期しているうちに、平井山の陣における兄の死だった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いろんなもつれの結果だと、噂は一時さまざまだったが、しかし彼女の道心は堅固で、また尼公のちょうもあつく、いつか四、五年は過ぎていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
国府こう住居すまいには、幾人もの側女そばめがいて、その人々が、めいめい、年景のちょうを争うので、そねみぶかい女同士の争いが、絶えたこともございませぬ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
於ゆうは自分の妹であるが、いつのまにか主君のちょうをうけていることを知っているだけに、なおさら、腹立たしかったし、戦友にが悪かった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)