壱岐の島へ行つて見ますと、未婚の男が亡くなると、幾つになつて居ても、首に頭陀袋を下げて、墓へ送る。さうして途々摘んだ花を、其袋に入れてくれる。懐しいあはれな風であります。
ルックサック——これも登山にはつきものであるが、空の頭陀袋を前に置いた所で、何の感興も起らぬ。たかだか山寺の和尚さんみたいに、猫でも押し込んでポンと蹴る位が関の山であろう。
頭陀の法を学ばざれば
“頭陀”の意味
“頭陀(托鉢)”の解説
托鉢(たくはつ、サンスクリット:pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)、または街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)