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迨
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いた
ふりがな文庫
“
迨
(
いた
)” の例文
詩集はわたくしが富士川氏に借り得て、今に
迨
(
いた
)
るまで座右に置き、其編年の体例に拠つて、我文の骨格を構へ成した所のものである。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
所謂伊沢分家は今の
主人
(
あるじ
)
徳
(
めぐむ
)
さんの世となつたのである。以下今に
迨
(
いた
)
るまでの家族の婚嫁生歿を列記して以て此稿を
畢
(
をは
)
らうとおもふ。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
そんなら今に
迨
(
いた
)
るまでに、わたくしの見た最古の「武鑑」
乃至
(
ないし
)
その類書は何かというと、それは
正保
(
しょうほう
)
二年に作った江戸の「屋敷附」である。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
中に就いて木村は茶山が甲戌乙亥の遊に相見ることを得なかつたために、茶山は今に
迨
(
いた
)
るまで
憾
(
うらみ
)
とすると云つてゐる。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
五郎作は
少
(
わか
)
い時、
山本北山
(
やまもとほくざん
)
の
奚疑塾
(
けいぎじゅく
)
にいた。
大窪天民
(
おおくぼてんみん
)
は同窓であったので
後
(
のち
)
に
迨
(
いた
)
るまで親しく交った。
上戸
(
じょうご
)
の天民は小さい徳利を
蔵
(
かく
)
して持っていて酒を飲んだ。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
勝久の人に長唄を教うること、今に
迨
(
いた
)
るまで四十四年である。この間に勝久は名取の弟子
僅
(
わずか
)
に七人を得ている。明治三十二年には
倉田
(
くらた
)
ふでが杵屋
勝久羅
(
かつくら
)
となった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
迨
部首:⾡
9画