誘拐かどはか)” の例文
お夏を誘拐かどはかした禮に清水和助から貰つた金が五十や三十あつた筈だ。それを與三松は腕つ節が弱いくせに慾の深い伊太郎にやつた。
「五人の子供を一ぺんに誘拐かどはかす工夫はありませんよ。おどかしたつて、だましたつて、人目につかないやうに、何處へもつれて行けないぢやありませんか」
「平次、八五郎と申したな、いや、御苦勞であつた。伜が誘拐かどはかされては、家内の恥辱になることぢや、それにおくの悲歎が見て居られない、何分頼むぞ」
誘拐かどはかされた子供は、悉く暴力で連れて行かれた事の外に、日中も、夕方も、時刻かまはず人をさらつて居るくせに、場所だけは例外なしに、海か河か
『弱い武家』で通つてゐるだけに、二十五六の良い男ですが、華奢きやしやで柔和で、どう見ても人間を誘拐かどはかしたり、やくざ者を斬つたりする柄とは思はれません。
誘拐かどはかされでもしたんぢやあるまいかといふ話だらう。——あの眼から鼻へ拔けるやうな悧巧者のお由良が、金紋先箱で迎ひに來たつてだまされて行くものか」
外の奉公人や、近所の人にも當つて見ましたが、お春が花火を取りに家へ入つたのは知つて居ますが、勇太郎の誘拐かどはかされた姿は誰も見た者はなかつたのです。
お隣の堀江樣の坊つちやまが誘拐かどはかされたといふ話も聞きましたが、あれは身分の方のことで、手前共のきたな餓鬼がきをさらつたところで、百文にもなるわけはなく
「川向うで嫁入行列をやつたのは三人、その間に空巣狙ひをやつたのと、お夏を誘拐かどはかしたのが一人か二人ある筈だ。——そのうち伊太郎と照吉は死んで了つた」
もつとも一度は惡者の手を逃れて、江戸番町の親の家に歸りましたが、少女お六が誘拐かどはかされるとき、父親の鎌井重三郎は人手にかゝつて非業の死を遂げ、家祿は沒收ぼつしう
「女の子だけを浚ふなら解つて居るが、時々男の子を誘拐かどはかす了簡が解らないぢやありませんか」
そればかりなら偶然ぐうぜんの廻り合せとも思つたでせうが、續いて昨日の十五日、三番目の十八になる娘が、親類の家へ泊りに行つて居て、其先から誘拐かどはかされてしまつたのです。
「いえ、何でも御座いませんが、六郎さんは、坊ちやんを誘拐かどはかすやうな方ぢやないと思ひます」
中はまだ人肌の温みが殘つて、誘拐かどはかされたにしても、そんなに遠くへ行つたとも覺えません。
子供一人づつ誘拐かどはかして、あの犬畜生に死ぬよりも辛い苦しみをめさせようと思つたのが何うして惡い。なア平次、お前が俺だつたら、指をくはへて敵の榮華を眺めて居る氣か
小さい時惡者に誘拐かどはかされて輕業小屋に賣られたものらしく、今まで行方がわからなかつたが、フトした事から、南左衞門の一座に居た文吉といふのが、その重三郎に違ひないと
かみの方には、本草學者を三人も誘拐かどはかしたのは、いづれ毒でも盛らせる積りだらう。
まして番頭風情が、人の娘を誘拐かどはかすやうに、つれて行つて宜いものでせうか、親分
と言ひますが、これだけに手際よく誘拐かどはかされては、手の付けやうがありません。
すると、——亡くなつた馬道の荒物屋夫婦が、十六年前にお蝶を誘拐かどはかしたといふ證據があり、それを又荒物屋夫婦から金で買つた私も、誘拐かどはかしの同罪は免れない、——と斯ういふ言ひがかりです
「あの娘が自分から姿を隱す筈はねえ。誰かに誘拐かどはかされたんぢやないかな」
「あつしは先生をどうしようといふ氣で來たんぢやありませんよ。ね、全龍先生。棟梁とうりやうの佐太郎を殺し、お萩を誘拐かどはかし、板倉屋の主人を殺した曲者は、先生の言葉一つで、見當がつくのですぜ」
亥刻よつ過ぎの月は、晝のやうに明るく、芝居歸りの人が田圃一パイ歩いて居りましたが、いかに田舍の夜更けと申しても、若い娘一人、手輕に姿を隱せる道理はなく、神隱しに逢つたか、誘拐かどはかされたか
「近頃俺は、誘拐かどはかされた子供を搜してくれと頼まれてゐるんだ」
「若樣がお見えなさらない? 何ツ、水天宮樣で誘拐かどはかされたツ」
二人の娘まで誘拐かどはかされては、迷ひの夢も覺めてしまひます。
お孃樣を誘拐かどはかした曲者を、お前だとは思つて居ない。
誘拐かどはかすか、殺した上でないと、加島屋へ顏を出せない
誘拐かどはかしかな」