蒯聵かいがい)” の例文
宋にはしり、続いてしんに逃れた太子蒯聵かいがいは、人毎に語って言った。淫婦刺殺という折角せっかくの義挙も臆病な莫迦ばか者の裏切によって失敗したと。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
霊公は、もう晩年に近かったが、自分の子の蒯聵かいがいのために、寵愛の夫人南子を殺されて、気を取りみだしていた。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
噂によれば、太子のいない衛国では、むを得ず蒯聵かいがいの子・ちょうを立てて、位に即かせたという。国を出奔する時後に残して来た男の児である。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
志を得たならば必ず此の子を太子にと、蒯聵かいがいは固く決めていた。息子の外にもう一つ、彼は一種の棄鉢すてばちな情熱の吐け口を闘雞戯に見出していた。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
子路が魯に来ている間に、衛では政界の大黒柱孔叔圉こうしゅくぎょが死んだ。その未亡人で、亡命太子蒯聵かいがいの姉に当る伯姫はくきという女策士が政治の表面に出て来る。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
続いて霊公の子・太子蒯聵かいがいも義母南子をそうとして失敗し晋にはしる。太子欠位の中に霊公がしゅっする。やむをえず亡命太子の子の幼いちょうを立てて後をがせる。出公しゅつこうがこれである。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)