荒木村重あらきむらしげ)” の例文
荒木村重あらきむらしげや池田勝入斎しょうにゅうさいや、あの『信長記しんちょうき』にある戦争の記事をおもえばそういうせんごくの武将どもが活躍したのは、その、いたみ、あくたがわ
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
織田方の勇将荒木村重あらきむらしげが、信長を裏切って毛利と呼応し、突然、叛旗はんきを織田の足もとからひるがえしたのであった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義理のために死を致す事、これ弓馬の家のならい、むかし摂州伊丹せっしゅういたみに神崎式部という筋目正しき武士がいた。伊丹の城主、荒木村重あらきむらしげにつかえて横目役を勤め、年久しく主家を泰山の安きに置いた。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
中国にも人物はすくなくないが、わけて姫路の目薬屋の息子どのは、有為な者、将来ある嘱目しょくもくあたいする男と、これは近衛家の人々からばかりでなく、摂津せっつ荒木村重あらきむらしげなどから聞きおよび
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尼ヶ崎の荒木村重あらきむらしげとか、河内の三好下野みよししもつけ、同笑岩入道しょうがんにゅうどうとか、遠くは大和の信貴山しぎさんの多門城に、なお蟠踞ばんきょしている松永弾正久秀などまで、敵地を見やれば、彼が踏破とうはした土地や洛中洛外の面積よりは
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)