村人は地窟の中で、藁細工に長い冬の日を送つてゐたのが、今こそ出るべき時が來たとやうに、身仕度をして野良仕事に出掛けるのである。
地窟を出た村人は、麓の松林で、終日斧を振つてゐるが、焚火の周圍へ集つて、煙草を喫みながら、折々笑ひ話をしてゐる。焚火の細い煙は、太い赤松の幹をめぐつて登る。
“窟(やぐら)”の解説
やぐらは、現在の神奈川県鎌倉市にあたる相模国鎌倉とその周辺地域で、鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて造られ使用された、横穴式の納骨窟または供養堂である。鎌倉市教育委員会によると、3000基以上が確認されている。現在では土砂崩れや宅地開発で破壊されたものも多く、残ったやぐらも風化で苔むした洞穴にしか見えないが、建立当時の内装は豪華であった。火葬人骨のほか多くの副葬品が納められていた。
(出典:Wikipedia)
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