科長しなが)” の例文
(戊子の年三月十五日癸丑の日崩りたまひき。)御陵は大野の岡の上にありしを、後に科長しながの大陵に遷しまつりき。
この天皇の陵は、大野岡の丘の上より後に科長しながの大陵へ移されております。大野というのはヒダ、ミノから越前にもまたがるヒダ王国の要点たる大野郡を指すのでしょう。
飛騨の顔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
御陵は初めは磐余いわれ掖上わきがみにありましたが後に科長しながの中の陵におうつし申し上げました。
天皇は甲辰きのえたつの年の四月六日にお隱れになりました。御陵は河内かわち科長しながにあります。
(甲辰の年四月六日崩りたまひき。)御陵は川内の科長しながにあり。