真崎まっさき)” の例文
例えば芝愛宕下しばあたごしたなる青松寺せいしょうじの前を流れる下水を昔から桜川さくらがわと呼びまた今日では全く埋尽うずめつくされた神田鍛冶町かじちょうの下水を逢初川あいそめがわ橋場総泉寺はしばそうせんじの裏手から真崎まっさきへ出る溝川を思川おもいがわ
実際彼らは、為政者から普通民の七分の一しか価値がないと認められた時代もあったのである。安政六年に江戸山谷さんや真崎まっさき稲荷の初午の折に、山谷の若者とエタと衝突して、エタが一人殺された。
エタに対する圧迫の沿革 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
あるひは銚子ちょうしの海浜、隅田川真崎まっさき等を描きし風景の如き、その空中に漂ふだいなる白雲はくうんは家屋樹木と共にこれらの図の布局をなすに当つて欠くべからざる要件の一となれり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
三囲みめぐり橋場はしば今戸いまど真崎まっさき山谷堀さんやぼり待乳山まつちやま等の如き名所の風景に対しては、いかなる平凡の画家といへども容易に絶好の山水画を作ることを得べし。いはんや広重においてをや。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)