滋子しげこ)” の例文
滋子しげこは夫の克彦かつひこ白耳義ベルギーにいたが、十二月もおしつまった二十九日の朝、アスアサ一〇ジパリニツクというやすの電報を受取ってびっくりした。
ユモレスク (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
清盛の妻時子の妹滋子しげこは、去年、女御にょごとして院の御一子を生みました。憲仁のりひと親王(後、高倉天皇)がそれです。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頼朝、義経の運命とおなじく、幼少の折、醍醐寺に入れられていたが、やがて頼朝の幕府に召しだされ、還俗げんぞくして、北条時政のむすめ政子の妹、滋子しげこと結婚したのであった。
時信も、そうだとすれば、禍は、姫の時子にも滋子しげこにも、かたちをかえて、因果しているものといえよう。——清盛には、自分のい立ちにかえりみて、充分に、うなずける。
『さきほど、泉殿で、見かけられたであろうが、これが姉の姫じゃ、時子というてな。……え? 妹かの。滋子しげこの方は、まだ、まことに、幼のうてな。呼ばせても、ここへ来おるまい。まあまあ呼ばいでもよい』