沙汰書さたしょ)” の例文
沙汰書さたしょに——向後、土地墾闢こんぺき、人民蕃殖はんしょく、北門ノ鎖鑰さやく厳ニ樹立シ 皇威御更張ノ基ト可相成あいなるべく——とあり、黒田清隆の上書にもちゃんと明記されている
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
島原一揆いっきのとき賊将天草あまくさ四郎時貞ときさだを討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守まつだいらいずのかみ阿部豊後守あべぶんごのかみ阿部対馬守あべつしまのかみの連名の沙汰書さたしょを作らせ、針医以策いさくというものを
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
専六は兵士とのまじわりようやく深くなって、この年五月にはとうとう「於軍務局楽手稽古被仰付ぐんむきょくにおいてがくしゅけいこおおせつけらる」という沙汰書さたしょを受けた。さて楽手の修行をしているうちに、十二月二十九日に山田源吾やまだげんごの養子になった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)