校書殿きょうしょでん)” の例文
その処置にたいして、正成も口を拭いてはいられず、翌晩、校書殿きょうしょでんの人なき所で、深く部下の不心得を彼へ詫びたことではあった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いい捨てると、尊氏はふたたび衛府えふの門内へもどって行った。そして、内裏の西北にある校書殿きょうしょでんの廊ノ細殿の外にかかるや、ふとたたずんで
そしてうところの鈴の綱は、廊の隅柱すみばしらから校書殿きょうしょでんの後ろのほうへ張られてあり、主上の御座ぎょざ蔵人くろうどらを召されるときそれを引き、鈴が鳴る。
「鈴ノ綱」とよぶ絹縒きぬよりの綱が下がっている。遠い校書殿きょうしょでんから蔵人たちの控え部屋にそれは鳴るような仕掛けになっていた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何のかのと理由づけては、白昼、得物えものを持った鎧武者が、内裏だいりにまで立ち入って来た。校書殿きょうしょでんの大庭やら梨壺なしつぼのあたりにすら、うさんな者が、まま見かけられたりするのだった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さよう。みかど以下随身みな山上に二泊の折、足利殿には一夜不慮の刺客に襲われ、そのことで翌日、内裏の校書殿きょうしょでんにて親しくお詫び申したことがある。……思えば、二人が心の端を
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ならば校書殿きょうしょでんの廊ノでお待ち申しあげておる。あれには、つねに人もいません」