昵近じっきん)” の例文
豊後国ぶんごのくに東郡中村の人。弘化元年九月大阿闍梨だいあじゃりに同五年五月大僧都だいそうずに進み、文久元年十月より輪王寺の宮の昵近じっきんに加えられ清浄林院と号せられた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
沼南と仕事をともにした提携者や門下生的関係ある昵近じっきん者さえが「復たユックリ来給え」で碌々ろくろく用談も済まないうちに撃退されてブツクサいうのは珍らしくなかった。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
それは友愛以上であり、昵近じっきんである。脂粉を塗っていたものもすべて顔を汚す。最後の覆面も引きはがれる。下水道は一つの皮肉家である。それはすべてのことをしゃべる。
延徳二年の秋には葉室家が義植将軍に昵近じっきんなのを利用し、葉室家に頼んで土岐への御奉書を出してもらった。翌年の秋に土岐がまた坂本の陣に戻ると、さらにそれへ使者を出した。
格太郎は紀伊家の用達ようたしにて家富みたるものなり。和学を好み網代弘訓あじろひろのりを師として国典を読み、又京師の縉紳家にも参して殊に三条さんじょう内府実万さねつむ公の邸に親しく昵近じっきんせり。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)